『群来(くき)る 春告魚(にしん)』、モッコ背負いの女性像について
旧花田家番屋の玄関前にある像は、平成10年9月に「開村(天登雁村※)120周年」を記念して東京鬼鹿会(当時会長 久保一路氏)のみなさんから寄贈いただいたものです。
※天登雁村は、旧花田家番屋の所在地の旧村名で、鬼鹿村を経て、小平村・小平町へ統合されました。
像の下の銘板には、以下のような言葉が記されています。
群(く)来(き)る 春告魚(にしん)
ニシンとは漢字で「春告魚」「鰊」「鯡」と書き、カドイワシともいう。イワシ科の寒流系の魚である。
毎年春になると、ニシン曇りの海に大きな群れをなして到来。浅瀬の海藻に産卵する光景は月夜に照らし出され、牛乳を撒き散らしたようになる。
これを”群来る”と言う。
学校には赤旗が上がり、競う浜辺はモッコを背負う女と子供が主役である。北の日本海は凪が短く荒れると怖い。
やがて雪解けの春が訪れ、ゴメ(カモメ)が舞う頃、今もなお「一攫千金、夢よもう一度」と氏神様に手を合わせる人もいる。もはや永遠に幻の魚と化してしまったのであろうか。
此処に開村百二十周年を記念し、文化遺産である「花田番屋」と共に、この文化を後世に残すための像を送るものである。
平成十年九月
東京鬼鹿会会員一同
背面には寄贈者等を記した銘板があり、
寄贈 東京鬼鹿会会員一同
会長 久保一路
像制作(創型会) 尾崎英道
題字 森野荘聿
とあります。
「モッコ背負い」は、鰊漁を代表する労働の一つで、汲み船が運んできた鰊を「モッコ」と呼ばれる木製の道具で運びます。モッコの中には30㎏くらいの鰊が詰められ、ナツボやロウカと呼ばれる集積場所へ運んでいきます。この労働は、女性や子供たちが多くを担ったといいます。「モッコ背負い」の人の連なりは、鰊漁の栄華を物語る風物詩でした。番屋の前で鰊漁の賑わいを伝える「モッコ背負いの女性像」なのです。
モッコ背負いの情景
制作者 尾崎英道氏プロフィール
1941:東京・荻窪出身
1960:尾崎一草・父(日展無鑑査)に師事
1964:武蔵野美術大学(商業デ)卒
1999:彫刻家集団「創型会」同人
・毎年5月11日例会に参加 ・山梨須玉(北杜市)で毎年個展を開催
2012:慈彩会会員
・毎年、日本橋三越の福祉絵画展に参加
〈主な彫刻設置場所〉
・山梨県清里高原ハイランドホテル・野外常設展示場
・東京高円寺マーキュリービル「モニュメント」
・山梨県清里、ヴィラージュ八ヶ岳「BE598」
・杉並区立桃井第二小学校 校章 その他あり
お問い合わせ
教育委員会社会教育課文化係
電話:0164-56-9500